2017年12月21日木曜日

冬至(二十四節気)乃東生(七十二候)12月22日~25日 香取市立神南小学校「火起こし」体験記

 「日の入り」は既に伸びてきておりますが、「日の出」はまだ遅くなります。22日は、昼の時間が一番短い日「冬至」です。これからが冬本番ですね。「冬至」の七十二候初侯は「乃東生(なつかれくさしょうず)」です。「乃東」とは、薬草になる「夏枯草(かこそう)」(ウツボグサ)のことです。「ウツボグサ」の現状(風土記の丘資料館周辺)は、茎がほとんど成長してなく、葉が放射状に地中から直接出ています。地べたに張り付いた、いわゆる「ロゼット」(根生葉)状態です。「冬至」の「乃東生」は、「夏至」の初侯「乃東枯(なつかれくさかるる)」と”対”になっています。
 「上総の農家」の畑には、「どんど焼き」の”やぐら”も準備できました。”やぐら”の中にお正月に飾った「注連縄(しめなわ)」や「お飾り」「書初め」などを積み上げ、「小正月」(房総のむらでは1月13日(土))に燃やします(写真左下:以前の写真)。その火で餅を焼いて、”無病息災”を祈って食べます。燃え上がる炎と竹の破裂音が勇壮です。竹の破裂音が「どんど焼き」の語源ではと思うほどです。お正月の「お飾り」や「注連縄」など、事前に「総屋」までお届けいただければ一緒に燃やします。
 「風土記の丘」に、香取市立神南小学校6年生の皆さんが勉強に来ました。最初に「資料館」の展示品について勉強して、その後に「火起こし」体験です。昔から行われてきた「火起こし」では、「打撃法」と「摩擦法」がよく知られています。まずは、「火打ち石」に「火打ち鉄(かね)」を打ちつけて「火花」をだす、「打撃法」での体験をしていただきました。テレビドラマなどでも、この「火花(切り火)」で送り出すシーンを見たことがあると思います。
 「打撃法」に使われる「火打ち鉄」は、発掘調査では「奈良・平安時代」以降の遺跡から発見されています。それに対し、「摩擦法」に使われた「木」は、弥生時代の遺跡からも発見されていますが、おそらく、もっと古くから行われてきた方法でしょう。いよいよ「摩擦法」による「火起こし」の体験です。はじめに、これから使う「火起こし」の道具「マイギリ」の説明です。館職員の「マイギリ」の使い方の”お手本”を見ていただいて、いざ実践です。
 「木」と「木」の”摩擦熱”で「火起こし」をする場合に多いのは、「キリ」状の棒を「木(板)」の上で回転させて摩擦で熱エネルギーを作りだす方法で、「キリモミ」「紐キリ」「弓キリ」「マイギリ」式などがあります。今回は「マイギリ」を使って”火を起こし”ます。「マイギリ」では、中心の「火きり杵(きね)」を「火きり臼(臼)(刻みが入れられている)」の上で回転させて、”焦げた高温の木くず”を作り出します。この”木くず”が「火種(ひだね)」となります。
 できた「火種」を「火口(ほくち)」に移します。「火口」は、”ヨモギ”や”綿”などでもいいですね。今回は”麻紐”の撚りを戻して、繊維状にした”麻わた”を使用しました。
 「火口」に包まれた「火種」に向かって息を吹きかけて、火力を高めます。あまり強く吹きかけなくても、口先を尖らせて「火種」を狙って吹きかければ十分です。
 息を吹きかけ続けると、火が「火種」から「火口」に移り、さらに火力が高まると、白い煙が少しづつ濃くなってきたかと思うと、”一気にボッ”と”炎”になります。「火口」を扱い安くするために、「土器」(新しく焼いた)を使用しています。昔もこんなふうにしていたのでしょうね。
 体験者全員が「マイギリ」での「火起こし」に成功です。「マイギリ」とともに記念撮影です。なぜか、一人”変なおじさん(館職員)”も写っていますが、、、先端に「火きり杵」が付けられた”丸棒”には紐が結ばれ、その紐は丸棒が通された板(「はずみ板」)につながっており、この「はずみ板」を上下することで、「火きり杵」に高回転を与えることができる仕組みです。また、この「マイギリ」には、回転を補助してくれる、”おもり”となる「はずみ車」もついていて、「はずみ板」の”上げ下げ”のタイミングとコツをつかめば意外と簡単に「火種」を作ることができます。
 続いては、先端に「火きり杵」がついた”丸棒”だけで「モミキリ」体験です。こちらは、「火きり杵」を早く回転させるための補助はありませんので、ただ”人力”だけで摩擦による熱エネルギーを作らなければなりません。”大変です” ”疲れます”「はずみ車」の付いた「マイギリ」が、いかにすごい「道具」だかわかると思います。
 これは大変そうだということで、校長先生も参加です。「火きり杵」のついた”丸棒”を掌で回転させて、「火きり臼」との摩擦温度を上げていきますが、温度が下がると「火種」となる高温の”木くず”は出てきませんので、温度を下げないために回転を止めないようにして一人が終わったら次の人にバトンタッチです。この状態を少し続けると、「マイギリ」と同じように、温度が上がり「火種」ができてきます。神南小学校の皆さんんはチームワークもよく、この方法でも「火起こし」ができました。しかし「疲れた」「筋肉痛だ」とは、実感でしょう。
 「火起こし」体験の後は、国史跡「龍角寺古墳群・岩屋古墳」の見学です。こちらは、千葉県史編さんのために発掘調査が行われた「浅間山古墳」で説明を受ける子どもたちです。「浅間山古墳」は、「龍角寺古墳群」の中で一番大きな「前方後円墳」で、発掘調査で「冠」や「馬具(馬飾り)」などが発見され、”古墳時代最後の前方後円墳”の一つだということもわかりました。しかし、なぜか校長先生が一番前で、積極的に参加している様子ですが。その通りです。実は、この古墳の調査には、校長先生も参加しているのです。発掘調査でのエピソードなどを、子どもさんたちに話していました。
 続いて「岩屋古墳」の見学です。「岩屋古墳」は、一辺が78m、高さが13mもある「方墳」です。下からでは全体がわかりにくい”巨大古墳”の形や大きさを、四方が見える古墳の上から三段の墳丘、二重の堀(周溝)を確認しながら説明を受けています。
 「岩屋古墳」の説明を聞いて、墳頂から降りてきます。途中に段が二つある(三段築盛)のがわかりますか。近くにある「龍角寺」が造られる前の時代、「古墳時代」が終わる頃の最大規模の方墳「岩屋古墳」は、”でかい”です。中小の古墳が多い「龍角寺古墳古墳群」の中で、「古墳時代」”最後の大型前方後円墳”「浅間山古墳」と”巨大”「方墳」「岩屋古墳」は特別な存在です。
 この「岩屋古墳」には、遺体を埋葬する施設、「横穴式石室」が2つあります。これもこの古墳の特徴です。石室の入口が開いたままだったためでしょうか、お墓に収められたものは何も発見されておりません。「浅間山古墳」では「冠」や「馬具」が発見されていますので、この古墳にもさぞかし立派なものが納めれていたのではないか思うと残念ですね。
 「商家の町並み」を見て、「風土記の丘資料館の展示」を見学、「火起こし」体験、そして「浅間山古墳」「岩屋古墳」の見学と、気がつけばもうお昼です。おなかがすきました。昼食場所は、重要文化財「旧学習院初等科正堂」前の芝生広場です。映画のロケも行われる建物です。すてきでしょう。神南小学校の皆さん、「火起こし」 体験お疲れさまでした。でもこれで、みんなはサバイバル状態になってマッチやライターがなくても”火を起こす”ことができますね。 ”最後の前方後円墳”、”日本一の方墳”はどうでしたか?古墳や歴史に興味を持ちましたか?「房総のむら」では、まだまだ、いろんな勉強・体験ができます。そして、いろんなイベントもたくさんあります。今度は家族の方と来てくださいね

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